A Letter From Osaka Tanihachi @Small Town
という本を読みました。この本はあっという間に読めて面白かった♪
というのは、最近、"んっもう!"ってことが良くあるからどうしようかナーというワケ。
私は怒り下手。アサーティブトレーニングを受けたいくらい。
怒りを溜めるタイプといえばそうです。というより、我慢の閾値が高いタイプなんです。我慢上手。いわゆる学級委員長タイプです、つまりティーチャーズペット、権力の犬タイプ・・・うーん、悔しいー!!キーッ!!(笑)
20年ほど前を振り返って見れば、溜めに溜めた家族への怒りが元で家を捨てるように進学したわけで子供の頃の私は人(兄弟)の面倒を見続け、もうやってらんないわよ!ってワケで、
「みんな自分のことは自分でやりなさいよねっ!」「私はわたしのことを自分でやるわよっ!」ってな具合で勝手に進学して自立したのが大人の始まりです(笑)。
この怒りなんて、小学校の頃から蓄積していたワケ・・・妹や弟が大きくなるまで・・・と説得され、我慢して大きくなっても姉という役割、およびその役割から来る仕事(主に家事)からは逃げられなかったため、最終的には切れました(笑)
Azerothのでhasicはどこにあるのでしょうか?
今思っても、切れて正解だったなー。あそこで切れなければ、ボロ切れのように人に利用されつづける人生を歩んだでしょう。あの時アサーティブな人生を選んだハズ。
人徳、というのは、そういう人をなだめるために為政者が利用するのです。
言い換えると、「いい子ね」というセリフは親が自分が楽をするために長女に与えるものです(笑)
そういう時は、こっちは人徳者になんかなりたくないからフェアにやってくれ!って言うべきです。
交渉の際、もっとも強い人は、失っても構わないという態度だそうです(Byハーバードの学者先生)。
人生"開き直り"が大切です。最近、私はまた別の開き直りを得たようです。 自立というのは、私の場合、こういう経緯で確立したものなので、自立していることが公平に扱ってもらえることの、対価でした。
自立していないことは卑屈な立場に陥ること・・・と感じていたんですね。だから自立を失うことが怖かったのです。でも良く考えてみたら、夫と妻の関係は、養育と非養育との関係とは違います。夫は義務で私を養育?しているワケでないのだし。
食べさせなきゃならんなら妻は要らんというような、そんな卑怯者ではなかったのです。この想念は19世紀の亡霊でしょうか…私は何に囚われていたのか今思 うと不思議です。2人とも別に困っていないことだし。 なんだか、錯覚を見ていたようでした。
"ここで一般的には彼の軍隊を維持するのか?"
夫と妻という関係は、ずるい女性が一部に夢想するように、"夫という経済的船に妻が乗る"関係ではありません。"幸せを一緒に作っていこうね"って関係です。
どっちかが幸せでないなら即刻解決か関係解消です。成果は幸せの量と質です。
コレを高めるために両方ができるベストのことをすること。それが夫婦というチームワーク。
■ 『怒るヒント』 より備忘録
・つど怒る
→ まだ来てもいない明日のことまで考えて、くよくよしない。心の中の反芻をやめる
・いいことはいい、嫌なことは嫌
→ 嫌いな人は嫌いでいい。でなかったら、悪平等になる。 嫌いな人は嫌いと公言しよう!
・一瞬は怒る その後は何も考えない 燃え始めた怒りに薪をくべない
→ これ結構重要ですよね。 思考に薪をくべるのを辞めること=瞑想による集中。
・瞬間湯沸かし器と瞬間冷却器
→ 私の冷却器はヨガとバレエと山です!
・頭から追い出さずに他のものを入れる
→ バレエとヨガと山と畑をいれています!
・溜めずに小出し
→ 具体的セリフを教えてくれないと出来ない・・・これが一番難しい。 けっこうウッとなります。ただいま研究中。
どのように解体を綴るん
・心の中の貸しを作らない&相手に貸しを作っておく
→ 相手はわかっていないよね? ということは、「してあげてもいいよ」ってセリフは結構ポイント。
・自分の役割でないことまで考えるのは無駄
→ 私なんてしょっちゅう無駄やってます・・・反省。
・怒りの状態そのものがカラダに良くない 3毒とは、むさぼり、無知、いかり
→ 怒りって毒ですよね。でもパワー出る。 そのパワーを何に向けるかがポイントですね。
・ゆるしを活用する
→ 私もいい加減昔のことは許していますってば。
・引き金は原因ではない (満員エレベーターのブザー音)
→ 引き金を引いただけなのに自分に非があるように感じるのは、かなり日本的"年功序列的順番性"に
毒されているから、かもしれません。心の中の順番は、日本以外では通用しない。
・怒って解決しないことは解決法を考える
→ 職場のトラブル、近所迷惑、ぜんぶルール決めの問題。怒って解決する問題じゃない。
著者いわく、日本人は怒って解決しない問題に執念深く怒り続け、最終的には殺人にまで発展させ
怒るべきときには権威にへつらって怒れないのだと。私もそう思う。
■ 目上の人に怒ってもいいんです
日本人の中の道徳というものは、権威にへつらうこと=徳("得"でもある)としている、怒っていいのは
権力者だけ。 権力者って言っても管総理だけじゃないんですよ、親とか先生とか、職場の上司とか、近所のおばさんとか、とりあえず、目上の人。
下々のもの、目下のもの、は黙って耐えろ、という教えは封建時代の名残なんじゃないですかね?
どんなときも怒らずに柔和な顔なんておしゃか様だってやっていませんってば。
健康的に"怒り"を発散させることも必要・・・この分野ビジネスでは、アサーティブネスといいます。
海外ではアサーティブトレーニングと言って大学でコースで教えているほどです。私も受けたかったのですが時期的に開講されていなかったんですよね。
0 コメント:
コメントを投稿